役人と戦闘中の小沢一郎氏
かねがね、役人に対し強い反感を持っていた小沢一郎氏。
つい先日報道のあった内閣法制局長の辞任は、表向きは辞任であったが、本当のところは首を切られたものであったらしい。
内閣法制局長というお立場は、役人の中の役人として、国政の枢機に参与し強い権限を有し省庁のトップに君臨していた。
行政は法で動く、その法解釈などで発言を求められる内閣法制局長とは、なるほど役人のなかの役人として権威と実力をもち、誇りを持っていたのであろう事は、頷ける。
それが、この度の政権交代で民主党政権になり、内閣法制局長ともあろう方が、表向きは辞任と言う形での実質首切りにあったとすれば、霞ヶ関官僚をはじめとする、実質この国を動かしていたと自負する役人の方々は、翼をもぎ取られたと同じ事態となり、黙っていないであろう事は納得がいく。
これがこの度の検察対小沢の戦争に、景を落としているらしい。
こう見ると鳩山総理の小沢氏に対して「戦ってください」という言葉を送ったその意味も、また違って見えるのではないだろうか。
国を動かしているのは誰か、国民は間違いなく国民の負託を得た政治家に政治を託しているのだ。
あくまで、行政の役所はその指揮下にあるべきである。
自民党政権下では閣議と言っても前日に事務次官が決めた事に、大臣や総理としてサインするだけであったと言う。閣議はたったの15分で終わるのもそのため。
官僚を政治家の配下に置き、大臣をはじめとする国会議員がこの国を動かすという民主主義国家に立ち返ろうというのが、民主党政権の目指す政治である。
国会答弁を聞いていても、安保や国防問題を見ても、民主党政権には問題が多い。
しかし政治を官僚から国民の代表である国会議員に戻し、国防も一人立ちして、日本が自前の政治をする意味でも、この度の小沢一郎対霞ヶ関の戦いには、我々は小沢にエールを送るべきなのだ。
官僚からもたらされるマスゴミ情報に踊らされず、何が悪くて何がどうだったのかの追求をしないと、この国は中韓などの国に尻尾を振る国賊(役人と政治家)に潰される。
この意味で、外務省と検察(検察も国の組織の一部)を、小沢一郎氏は解体したがっていたらしい。
それではこの政権の真の実力者・小沢一郎氏が潰されかねないのも良くわかろうと言うものだ。
だから小沢が潰れるのか、検察が総辞職かという、熾烈な戦いになっていると、この事件を見なければならない。
それを、現在の権力の犬であるマスゴミは書かない。まったく何をしていることやら。
ま、検察の裏を取れば出入り禁止では、マスコミでさえ、検察に靡くしかないし、小沢悪人説を垂れ流すしかないのであろうか。
これでは過去の戦下のメディアを叩く資格も、現在においては国民に真実を伝えるという資格もないと思うのだが。
初めに「この結果ありき」の証拠集めなどされれば、何人でも即牢獄行きでは、どこぞの独裁国家や共産主義国家と同じである。
だいたい韓国のBS細胞の研究者など、結果ありきのリポートで世界の顰蹙を買っている。それがあの国の無能な体質なのだ。
だから明治以来の長年の腐りかけた官僚体質の中では、初めから「結果ありき」の逮捕などが「無かった」とは言えないのだ。
そのいい例が、自白の強要ではないのか。
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