2006年11月13日 (月)

「孔子学院」と立命館・桜美林・北陸・愛知・札幌の各大学のなぜ

MURDERER胡錦濤が世界100カ国に300箇所以上の儒教学校の「孔子学院」を造っているという。共産主義国において宗教や哲学とは害毒であるとする国の独裁者主席の,「孔子学院」と言う名を借りた、中国覇権の足場を日本に造ることを容易にした立命館・桜美林・北陸・愛知・札幌の大学には、がっかりした。

胡錦濤と彼が率いる中国共産党が、チベット民族に対し、なにをしたのか知らないはずがなかろう。

つい先日も、世界のメディアで、中国軍がチベットの子供を射殺した映像を放送していた

逮捕できる至近距離から動物を殺すようにである。

中華思想であるから、他の国民は特に日本人などは人であるという理解がないのかもしれない。このようなことだから中国は「靖国参拝は止めなさい」等と、高いところから人を小バカにした発言をするのだろう。

チベットの僧は、ダライ・ラマの写真を持っていたなどと、およそ犯罪にならない理由で投獄され、拷問を受け、むごたらしい殺され方をしているのだ。尼僧に対する拷問などは、言葉にさえ出来ないひどさである。これが現実として続いている事に、人間として怒りを感じないのであろうか。このようなことが日本の子供に対する「いじめ」を容認する事に、繋がっているような気がする。

また、中国共産党の弾圧に対し、かつてチベット人が蜂起したときのこと、弾圧を指揮したのは国家主席の胡錦濤である。

その弾圧の仕方が見事であったために、いまの彼の地位があるのだ。

要するに、ジェノサイドが見事だったのだ。

血も涙もない男が、「孔子学院」などと言うご立派なものを、全世界に普及させようなどとするのは、魂胆があるからである。覇権が目的なのだ。

いくら、世間知らずとはいえ、大学がこのようなものを作る事に理解を示すなど、ありえないことだ。

このような大学に子供を預ける事は出来ない。

ただ、大学の教授らが、中国政府により、CH・工作をもって篭絡されたのなら、ありえない事もないが。(CH・工作とはチャイナ・エッチ工作の事、以前の記事に詳細がある)

こうなると、中国共産党のスパイとスパイ養成学校である。

中国の覇権を許す国賊とその大学、そして中国の動きに気を許してはならない

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2006年11月 8日 (水)

教育再生会議メンバー入りは会社の宣伝用か

教育再生会議メンバーの居酒屋チェーン「和民」社長渡邉氏が、教育問題の番組にでての発言。

担当教師の評価を360度の角度から生徒・親・同僚の先生・上司らが採点するのだという。この方法は、最近氏が買収し氏の経営する学校で、取り入れているという。ずいぶん渡邉氏は胸を張っていた。

革新的な事でも行っているという自負があるのであろうか。

確かによい方法のひとつであるかもしれない。

しかし、教師の評価という非常に難しいものを、たとえば生徒の親で、たまにしか授業風景を見ることの出来ない者に評価させるというのは、難しくいかがなものであろうか。

先生が親身になってしかる場合もあろう。体よくご機嫌取りをする事だってありえる。

そのようなものを何でも点数や、紙に書くことで何とかできると考える、日本人の発想にはない文化に、私は違和感がある。

また教育という、結果がすぐに出るとは限らない事に、二年や三年の学校経営に参加したからといって、どうのこうのと自信たっぷりに話すのは、思慮が足りないといえないか。

先日「和民」チェーンの経営する、北海道の農場をTVで見た。大規模なハウスでトマトを生産していたが、トマトもアマチュア並みかそれ以下の出来栄えであった。もっとも、トマトの葉は、茶色になって垂れ下がり半ば枯れた状態で、これ以上の生育は無理な様子でもあった。

それよりも驚いたのは、トマトの根元に大きな石ころがごろごろしており、野菜を作る土地ではなく、とてもプロ意識を持って作付けしているのではないと感じたことである。

普通その石を、ひとつひとつ農民は拾うのである。家庭菜園でも、もう少しまともな耕し方をするものだ。

氏の言う学校でのバウチャー制度や教員の評価制度であるとかは、まさに農民が田畑の石を拾い、子供の苗をを育てる耕地を耕すようによい子に育てよと水を蒔く事をせず、何キロ作物が出来たかだけで味も見ず、水もかけないで収益ばかりを見ていることと同じである。

再生委会議で議論する事の本質は、もっと深く深刻なはずである。小手先だけの改革だけでは、問題の本質に迫らない。

また、気になるのは「和民」チェーンの経営する老人ホームの経営はどうなのかだ。

日本には畑違いと言う言葉があるが、まさに「和民」のトマトのハウス栽培は畑違いである。

子供の教育という日本の根幹にかかわることを、畑違いだったと失敗されても困るのである。ましてや、子供の将来があるのだ。

さらに、教育再生会議のメンバーである事を、商売のネタにするのはよしてもらいたい。

教育再生会議は脅威苦再生会議などと、子供と教師を管理管理と苦しめるだけの教育現場にすることのないよう、注意したいものだ。

やはり、赤とジェンダーと拝金主義者のいる教育再生会議のメンバーは、もう一度決めなおしたほうがよいのではないか。

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2006年10月19日 (木)

いじめは外的なものだけが、原因か

いじめについて、いじめと感じ悩んだ者として述べたい。いまこの問題で記事にしても、思い悩む人にとっては辛いだけに、被害者から「私の気持ちもわからないくせに」と、お叱りの声をいただくかもしれない。が、厄介な問題だからこそ述べたい。

辛いのは、よくわかるつもりである。

以前聞いた話であるが、確かビートルズの話だったと思う。

彼らは、めいめいが「自分はグループの中で孤立している」と、絶頂期の音楽活動の中でさえ感じていたと言う。

他から見れば、あれだけヒット曲を生み、世界的なミュージシャンになった彼らが、そのような悩みを持っているとは、誰も思わないし感じなかったであろう。しかしメンバーひとりひとりが、そのように思い悩んでいたというのである。

そして、その事を語り合った時に、みながそう思っていたのだと知ることになったというのだ。

このように、人はどう思っているのか、なにを悩んでいるのか、他人にはなかなかわからないことが多い。ましてや、自殺した子と同じ家に住む家族ですら気付かない。何十人もの生徒を抱える先生が、気付かないのは無理からぬ事と言えよう。しかしあきらめたりせず、注意を払う事が大切だ。

(子供は惨めさがわかるから、誰にも相談しないのだ。つらくても、心配かけたくないから話さないのだ。だからこそ、思いつめるのである。)

このように身近にいるものが、知りえない、わからないのに、学校に一般人を投入したところで、問題解決するものであろうか。

学校に第三者を入れる論議も良いかもしれないが、隠蔽するため悪質化することも考えられる。

一番心配なのが、創価学会や公明党に関係する父兄が、常時学校に張り付き、口を挟み、以前コミニティーを壊したように、学校の内部をかき回す可能性が大いにあることだ。

それに、創価学会員が、組織票を使いPTAの役員になったり、隠れ創価が、教育委員会の指名で教育関係の審議会などに参加するようになってから、教育の現場は悪くなるばかりで改善されていないからこそ、今日の問題があるのだ。

さらにまた丸邪(他の宗派のものを指す)の子供が、学校に登校出来ないようにして、将来進学が出来ないようにするなどの悪巧みを、実行する事は大いにある。

特に近頃は、校長の講和中で話している時でさえ、大きな声で雑談し、邪魔をしているバカ親もいる。親の質も低下しているのに、このような者を、いつでも自由に学校に入れるようにしたのでは、厄介ではないのか。

これらの馬鹿親は、他の父兄が迷惑そうにして注意をしても、どこ吹く風である。親の教育が必要なぐらいで、子供まで手が行かなくなる。

それに、トラブルのその現場だけをとらえ、喧嘩の是非の判断はできないこともありえよう。兄弟げんかを見ればよくわかる。前後を考慮する事も必要な事がある。

これを考えると、外からの人間を投入したとして、一番の問題解決とはいえないように思う。

一番良いのは、子供たち自身に考えさせる事なのだ。これが大人になる前の、真の教育実習・生きる力である。(真の生きる力・原動力は自ら考えることにある)

将来大人の世界でも、同じような事はありえる。

この時こそ、子供のときの体験が役立つし、心の中につらさを受け止めるクッションを作っておく事は大切だ。

また、自分が子供を持った時、どうすればよいか判断でき、子供にアドバイスが出来て大いに役立つという事もある。そして子供との信頼関係は深く結ばれる。これは、まちがいない。

人は大なり小なり、苦痛を感じ、苦痛が生まれるようにできている。

この世に生まれた時点で、仏教に説かれているように「色受行想識」があり苦が生じ、生まれるということは「生・病・老・死」を避けては通れないのだ。(この死は、自殺と他殺を除く)

興味のある方は、ダライ・ラマ・の著作物をご覧いただきたい。

とにかく、家族の様子が変だなとおもったら、声をかけてほしい。それだけでも救われる事があるのだ。

ここでなにを述べたいかと言うと、人はどのように感じるかと言うことは、他人ではどのようにもできないのである。

たとえ人を愛する・恋するという崇高な感情であっても、対象となる女性の好みのタイプでなければ、その女性は告白を受けても苦痛に感じるかもしれない。

告白し断られた男性が、その女性の対し、さらに強く恋焦がれ、執着の余り追い掛け回したら、犯罪と言われてしまうのだ。しかし何度もアタックして、彼女の心を射止める事が出来たりもする。

個々の問題解決も反省も必要だが、内面的な問題、学校の現場で心の問題がないがしろにされ、日本の本来持っていた神道や仏教の生死感が失われたことに、今日の問題の原点があるように思う。相手の心を思い計れば、問題はおきない。「愛や思いやり」を説く事が、大切なのかもしれない。

そこでまずはじめに、創価学会の父兄と、彼らにへつらう教師の一掃が必要だ。

いま、教育再生会議に、この手のものがまぎれていないことを願うばかりである。

どうも、リベラルや創価に汚染されたマスコミ界やTVに頻繁に登場する御仁が、多く選任されている様子で、非常に心配である。

教育問題が、混迷しないよう願うばかりである。

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2006年10月 9日 (月)

子供の喧嘩に進んで出る弁護士

「子供の喧嘩に親が出る」とは、日本の古いことばであるが、大人げないことのたとえである。

昔は、子供同士の喧嘩のときなど、ガキ大将やよその年長のおねえさんがいて、仲裁をしたものだ。また同年のクラスメートが、割って中に入り仲裁したものである。

ここで、喧嘩の当事者と周りのものが、事情を把握して仲裁し、個々に反省し、相手の気持ちを汲み取る事などが出来るのだ。ここで子供の成長がある。

今日、4chに出演した中嶋弁護士という「いじめ問題」の専門の弁護士は、いじめがあったら即、犯罪があったと警察に通報し、常時校内をパトロール隊が見回り、いじめを防止するという事で、効果を挙げている学校があるから、そのようにする必要があると発言していた。

校内暴力で、学校内が荒れ、他の生徒や教師に危害を加えるのであれば、警察の協力も必要であろう。しかし、学校は学びの場である。程度問題で、すべてがそのような対応でよいのか。

学校の生徒と先生が、まず自らの自助努力で問題解決しないでどうするのか。

問題解決により、このようなことをすればどうなるかを知り、子供の反省を引き出す事になる。それは、子供のこころの成長なのである。

そもそもそこに警察などの司法や行政が介入すればかたくなになり、ウソをつき通し、欺いた方が正義だという事を刷り込み、ろくな人間を養成しないという結果にならないとも限らない。

また逆に、まじめな子の立ち直るためのハードルを高くしてしまう事もあるのではないか。

子供の喧嘩は、自己主張が強く、事態を把握している周りが入ってこそ、良い解決に繋がる。そもそも、担任の先生ですら把握しにくいものを、子供の喧嘩まで警察に頼むなどやりすぎでしょう。

刑事事件になれば、弁護士の登場になるのであろうが、創氏改名した弁護士は日本人を憎んでいるから、ひどい目に合わせたりしないのだろうか。

警察にも創氏改名した警察官がいるから、自白の強要をして罪も無い子供らを犯人扱いしたりしないのであろうか。

ライブドアの事件などを見れば、正しい捜査や必要な調査すらなされていない。

子供は子供同士で環境を改善するのにどうすればよいか考え、みなで協力する事が必要だ。

人は人の中で生かされている。衣食住も、総て人様の世話になるのである。管理でなく、連帯こそが必要である。(共産主義は、連帯を断ち切り、個人さえ良ければよいとし、他をけん制する事で体制保持をしている。親子の情すら断ち切るから、冷徹な子供になるのだ)

事を大きくして、仲間意識や連帯感を断ち切るような事はいけない。

まるで、北朝鮮のように、拉致誘拐した日本人を四六時中監視し、子供の心に傷を負わせる事など、ないようにして欲しい。

さらにつらい体験は、心を強くし、成長させるのだという事を知ってほしい。ただ、そこには、いたわりが不可欠であるが。

そして、「因果応報」のとおり、ひどい世の中を放っておけば、いずれ自分も同じ立場に見舞われるということを伝えてほしい。

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2006年10月 8日 (日)

給食費未払い問題

全国で学校給食費の払わない父兄が増えており、これを徴収するための人員を確保知る自治体もある。

給食費については、払えない家庭に市町村から補助金が出ており、これは日本人であろうが通称名を使う外国人であろうが、収入のない家庭に支払われている。

おまけに学用品のための補助金もでている。したがって、払えない家庭はないはずなのだが、未払いの家庭は財力がありながら、故意に支払っていないようだ。

結果、学校給食の現場はどうなっているのかというと、資金不足になり、たとえば通常使用するチーズを価格の安いものに変えるなどという結果になっているのだという。

働かざるもの食うべからず、代金の支払わざるもの食うべからずであろうが、子供の給食費となれば強い事は言えないのであろう。

しかし、未払いの者のために、本来なら食品の安全や質・量が確保されているはずの学校給食が、落としたかたちでしか提供できないのは、大問題である。

自分の子供は自分で守る必要がある。

いっそ、学校給食を止めて、お弁当に変えてはどうか。働くお母さんもいることであるから、お弁当を売るなどして対応すれば良い。自分が今日何を食べるか、これこそ食育である。

あてがわれるものを食すのではない。

さらに、今は有機野菜など食材にこだわる家庭もあり、また食物アレルギーのため学校給食を食べる事が出来ない児童もいるのである。

本当に子供の食の安全を確保するのには、なにをすべきかである。

また、給食施設の拡充と維持にはたくさんの資金が使われていうるはずである。これが削減できる。さらに給食費徴収の人件費など不必要である。

学校給食の始まった昭和30年代の日本と今は、事情が変わってきているのである。それよりも、カフェテリアなどの明るい雰囲気で、先生や友達と楽しく食事をするなどというのもあってよいのではないか。今の薄暗い管理監視の学校の雰囲気から脱する事は、相当子供の心を明るくすると思うのだが。

古い駅前が猥雑なように、暗く冷たい学校の建物のイメージを脱し、大きな花瓶にたくさんの花でも生けて、明るいところで食事をし、午後の授業に向かうなど試してはどうか。

それにしても、NHKの受信料といい、社会保険庁の保険金未払いといい、そしてこの給食費の問題、情けないことである。皆同じ人間の一連の行為であろうか。

一部の不心得者のために、不必要な人件費を拠出し続け、本来の目的にお金を回せないのであれば、人を使って徴収するのではなく、他の方法で対策を取るべきである。

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子供のいじめ問題

最近子供がいじめを苦にして自殺したという。

幼くして、自らの命を絶つところまで思いつめる子供らのいる事は、なんと悲しい事であろう。そして、日本の大切な国家の人材を喪失したという意味でも残念でならない。

まさか、日本滅亡を画策する輩が、子供を使って苛められている子を追い込んだなどということではあるまいが。

また、手を差し伸べる事の出来なかったわれわれ大人は、このような事件の起きぬようになにをすべきか、考える事が急務である。

本来幼い子供のころの仲間というのは、老いても気心の知れた楽しい仲間のはずである。

遊びで駆け回った思い出、仲間だけの秘密の思い出など、思い返せば時を忘れ、またタイムスリップして、童心に返ることが出来るのだ。これを共有できるのは、仲間があってのことである。

ここで、いじめの問題などがおきれば、幼少の思い出に傷がつき、生涯楽しい思い出として振り返る事はできないであろう。

そして、仲間との楽しい時間の共有もないはずである。

したがって、いじめられた子供も悲しい人生を送る事となるが、いじめた子供にとっても結果悲しいものとなる。双方にとって、不幸な事であるから、不幸なことが起きぬよう真剣に問題解決に取り組む事が必要である。

原因を見極める事も必要かと思われるが、相手は大人ではない未発達の子供である。間違いはあるものなのだ。子供は正義感もあるが、残忍さも持ち合わせている。

この点を正し、教え諭し、困っている子の悩みを共感し、励ます事をして欲しい。

是非、韓国ドラマ「チャングム」などでなく、このようなことを題材にしたドラマでも作り、意識改革してほしいものだ。

ここで、家庭や教育の現場でもこのような指摘をして「子供のころの校友は大切な生涯の仲間である事」「意見の対立は良いが、陰険なことはいけないこと」を、常に念仏のように説く事が必要である。

そして、学校の現場では、心の問題にもう少し時間を割く事が必要ではないか。

技術革新も、精神の成長がなければ、狂気の凶器である。

北朝鮮の体制の核実験と核兵器のようなものである。

映画の「スタンドバイミー」を、思い出す。あのような時間をもてるのは、子供の頃しかないのだ。

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